2017/05/29

こんにちは!マジェスティS

そう。1年間乗ったシグナスちゃんの後。僕の新たな相棒は、マジェスティSにしました。
このバイクも、約15年くらいになるのかな。
ずっとお世話になっている、京都南部の某バイク屋さんで2017年5月13日に購入しました。

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えっと。2014年版マジェスティS。走行距離は1370キロ程度でした。

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この画像での距離数は納車後、少し走ったコンビニで撮ったものです。

で…、だ。
なぜマジェスティSを選んだのか。ですよね?
この時期だと、NMAX155が出ているのに、なぜマジェSなん?みたいな。
正直、無茶苦茶悩んだのです。
NMAX155か、それともバーグマン200か。んでもって、マジェSか。

ウチのマンションの駐輪場、狭いんでね。
250クラスのスクーターは最初から考えませんでした。

125ccで、力不足って思ったしなぁ。
155ccってどうなん?気休め程度ちゃうの?
とかも思ったし。
普通に考えると、ここは最新のブルーコアエンジンを積んだNMAX155やろ?
いや、待てよ。NMAXだと、スーパーで2リットルのお茶買った時、どうやって持って帰るんよ。
それならバーグマン200がええやん。
いや、バーグマン、横幅広そうやし。ウチのマンションの駐輪場、すんなり入るかしら。
んでそもそもスズキやし。別にスズキのバイクも嫌いじゃないけど、
おいらはここ十数年、ヤマハばっかり乗ってきたんやし
(カワサキ・DトラXは僕の中での黒歴史となっています。笑)

こんなん考えると、キリがないのです。

ま、そんなこんなで。
バイク屋さんで、いろいろ探してもらったら、
「任さん、赤のマジェS、1400キロ弱でありますよ」と。
正直、新車で買うか、中古で買うかもかなり迷ったのです。
確かね、差額が諸経費込み7万円程度だったので。

最終的に。
走行距離1370キロ程度なら、僕にとっちゃ新車と変わらんレベル。
よくよく考えると、1370キロ程度なら、僕だと2か月足らずで走っちゃう。
7万円の差額だと、一瞬そんな程度かって思ったけど
たった2か月足らずの距離の差で、7万円は大きいぞ、と。
んで、赤のマジェSってのも気に入ったしね。

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ってなわけで。
新しい相棒は、マジェSくんとなったのでした。
えっと。僕は事故やトラブルでもない限り、この子とは最低3年付き合う気でいます。
だから、3年後の想定距離はざっと3万6千キロ程度。
多分、それくらいはトラブルなしで動いてくれると思うんです。
ま。よろしくです。マジェSくん。
ヤマハ マジェスティS | Comments(0) | Trackback(0)
2017/05/29

さようなら、シグナスX

先日。2017年5月13日。
約1年間、相棒として付き合ってもらったシグナスちゃんとお別れしました。

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2016年5月18日、納車時点で6005キロでしたので、1年で1万300キロを走ったことになります。
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乗っていて、125ccという点で、力不足は感じましたが、特にそれ以外、不満はありませんでした。
フラットなフロアですので、ビジネスバッグなども、ちょこんと載せられます。
スピードも主要幹線を車の流れに乗って走ることにおいて、力不足は感じません。
ただ、坂ですね。
坂ではアクセルをフルに回しても60キロです。
もちろん、これで充分なのですが、夜とか他の車が飛ばしている時は、ちょい怖いです。
(急加速とまではいかないけど、なかなかの加速をされます)

あと、不満と言えば不満になるかもですが
フラットフロアなので仕方がないのですけど、
ポジショニングが難しかったですね。
どこをどう座ってみても、なんかしっくりこない。
僕の場合は気持ち程度、シートの前に腰掛けていました。
何て言うんですかね。
よく街中でも、結構ガニマタで乗っているお兄ちゃんとか見かけます。
このバイクだと、そうなる気持ち、よく分かります。
「ちょこんと座り」とでも表現しましょうか。
そういう乗り方が、僕の場合もしっくりきました。

このバイクで、半日程度軽くツーリングをしたことがあります。
ツーリング、できないことはないけど、
どちらかと言えば、街乗り。普段の足として乗るのに適したバイクだと思います。

辛口表現だと
乗っていて、あんまし楽しくない。ウキウキしない。
別に疲れないだろうけど、あんまし遠くに行きたいと思わない。
でも、普段乗りには抜群にいい。
気を遣わなくていいし、どこでもスイスイ行けそう。
コンビニや、ドン・キホーテみたいなとこにふらっと立ち寄って、なんか買って帰る。
そんなのには持ってこいのバイク。
僕は1万キロしか乗りませんでしたが、きっとこのバイク、丈夫だろうし。
そういう、普段乗りの相棒としては、愛着も沸くし、大切に乗りたいと思えるバイクです。

さて。シグちゃんとお別れしたということは…
任さん、とうとうバイクから引退???
ということにはならず。
ってか、車も手放したのです。
母も天国にいっちゃったし。車を乗る必要もなくなりまして。
だからバイクまで手放すと、僕の足がなくなります。

僕は次、何を選択したのか。
あ、上の画像で少しだけ見えてますね。

何はともあれ。シグちゃん、ありがとう。
この1年間。君はほんと、よく頑張ってくれました。
梅田や京都、滋賀あたりにも。
君はあっちゃこっちゃ、僕と付き合ってくれました。

次のユーザーさん、もうちょい優しく乗ってくれる人でありますように。
あはは。
ヤマハ シグナスX SE12J | Comments(0) | Trackback(0)
2017/05/08

ハッピーエンド

今日は朝からずっと動いていました。
母の特別永住者カードを返却しようと、市役所に行ったら
これって入国管理局に郵送で返却しないといけないんですね。
ちょっとびっくりしました。

あと、母の年金をストップしなきゃと思って、年金事務所に電話したらまったく繋がらないし。
繋がったと思ったら、来てくれと言うし、行ったら1時間待ちとか言うし。
あー!もー!って感じで、いったん今日は諦めることにしました。
(夕方、再度電話して、ストップだけ先にしてもらいました)

それから、京都在住時代に母がお世話になったところへ行脚。
母の遺影を持って、バイクで回りました。

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宇治市内のローソンって看板の色が濃いんですね。

京都南部をトータル4件回って、帰宅後に1件電話でお話ができて、何とか無事あいさつができました。
母が自立支援をうけていた頃にお世話になった訪看さん。
その中で一番お世話になった方々、お二人が今、某自治体で職員をされていらっしゃいます。
母が認知症を患っても、記憶に残っていたお二人です。

「●●さんが真剣だったから、こちらも真剣にしないと通じないと思った」

この言葉が印象的でした。
僕も真剣勝負。母も命をかけての真剣勝負。

「そういう人たちに、生半可な気持ちで接しても、心を開くわけがない。
だから、私たちはとても勉強になった。
長い間、この仕事をしてきて、一生忘れられない利用者と家族さんだった」

本当に嬉しいです。
僕たち親子は、お金はなかったけど、こんないい人たちに出会えました。

「つらいことがあったら、いつでも来てや。お母さんも面倒みてたんや。子供くらいなんともあらへん」

こんなこと、おっしゃってくれたんです。
この一週間、人に会うたびに、泣いていたのですが、
ここでも泣かすか、ってね。笑


えっと。
この物語。約30年ほど続いた戦争。
無事終わりました。
多少、悔いは残るけど、
最後はハッピーエンドでした。

でね。これから。
僕は、ちょっとぐうたらしようと思っていたのです。
ま、仕事たまっているんで、それだけやって。
あとはのんびり。自分が生きていけりゃいいや、って感じで。

しかし。
明日から、僕はまた出向することになりました。
たまっていた仕事もあるので、えらいこっちゃです。
人に振りたいけど、他にできる人、知らん。

ま。それが落ち着くのが6月ごろだと思います。
それ以降は、のんびり。
今までみたいに、がむしゃらじゃなくてね。
自分を見つめながら、生きて行こうと思います。

今日、京都で一番に会った、元ケアマネさんに
「このことを小説にしてみたら、どう?」
って言われました。

うーん。この30年間。いろいろありすぎて、あんまし細かく覚えてないや。
ま、書けたら書きます。笑
ただの日記 | Comments(0) | Trackback(0)
2017/05/04

いろいろあったけど、楽しかった

僕は、親の人生のクロージングは子供の責任だと思っています。
世の中にはいろんな親子の形があるとも思っています。
ごく一般的な親子の関係とか、ちょっとその基準が分からないのですが、
少なくとも、僕たち親子はその基準には当てはまらなかった、そう考えています。

たくさん闘いました。
最初は逃げようとしました。
「親子の縁」ってのを切ろうともしました。

でもね。
僕の掌に一人の人生が乗っているんです。

親らしいことって何でしょう。
お金でしょうか。
足を引っ張るって何でしょう。
そんなもん、くだらないものだと、気がつきました。

子どもも、親も。
みんな人生をサボりたいって人、いません。
きっと、彼女なりに一所懸命生きてきたのです。
一所懸命に生きてきた人は、やっぱり最後一人で天国に逝かせるわけにはなりません。

僕の欲しいものとか、やりたいこととか、夢だとか。
そんなもの、人の命に比べたら、どうでもいいことです。

親はね、子を産んでくれたってだけで、充分です。
僕にとって命の恩人なのです。
そしてね。
世界中の人が僕の敵になったとしても、
たった一人、僕の味方になってくれる人なのです。


悔いは残ります。
僕は、
認知症発症後、5~10年で何かしらの要因で死亡する
という定説を覆したかった。

「老人の身体は急変する」って言うじゃないですか。
僕はそれを否定します。
何らかの兆候はあるのです。
ただ、それに気づいていたとしても、ゆっくり放置するしかない。
もしくは周囲がそれにまったく気がつかない。

71歳ですよ。
僕はあと15年くらい。
せめて85歳くらいまでは、介護したかった。

ウチの家に限って言うと。
6年前だったかな。
誤嚥性肺炎で京都の病院に入院した時、
覚悟をしてください、と先生に言われて、
それが奇跡的に復活して
本人の意識が戻ったら、記憶がなくなっていて
先生から認知症と正式に診断されて
それ以降から
初めて、ちゃんとした親子の関係を築けたかな、と僕は思っています。

楽しかった。
本当に楽しかった。
親というより、僕の子供みたいな。
車であっちこっち連れていきました。
会う人会う人に、胸をはって
「僕の母です」と言っていました。
世界で一番、僕の自慢の母でした。

だいぶん前に、このブログでも書いたかな。
「ボーナストラックかも知れません」って。
京都の病院から、施設に入っての6年だったか、7年だったかの歳月。
母はどう思っていたのか知りませんが、
僕にとってはボーナストラック。
神様が僕にプレゼントしてくれた時間でした。

欲を言えばもっと楽しみたかった。
せめて、お金持ちになって、もっといい思いをさせたかった。

母が天国にいって、これまでの数日間。
人と話すと、ボロボロ泣けてきましてね。
なので、なるべく人と会わないようにって。

でもね。出棺の日。
伯母や叔父たちが集まってきてくれて、
みんなで、見送れたのです。
なんかね「いってらっしゃい!」って気持ちになれたんです。
お棺の中に、なんか入れてもいいってことだったので、
天国って寒いんやろかとか思いながら
ちょっと多めに服を持たせて、
お葬式会場の喫茶店で、トースト焼いてもらった、
お弁当を持たせました。

あの人、ずっと僕と一緒に暮らしたいって言ってたのですが
今、この隣の部屋で、暖かい陽ざしを背に、笑ってはります。
ごめんやで、生きている時に実現させたかったんやけど、
お金稼がないと、あかんかってん。
それでも、通院・入院時代も含めてトータル10年以上。
毎週土日、顔を見に行ってたので、僕としては頑張ったと思うねん。
やから、ちょっと堪忍してね。

僕はもうずっと、母の介護を中心に生活をまわしてきて
他のことはほとんどおざなりにしてきました。
だから、これから土日、何をすればいいのか。
どんな仕事をして生活していこうかな。
全部リセット状態になった気分です。

でも。何となくですが。
この経験を、いろんな人に伝える責務はあるのかな、と。

えっと。僕はね。
施設に入っているお年寄りのご家族さん。
毎週1回でも、家族みんなで代わりばんこしてね、
施設に行って、じいちゃんやばあちゃんの顔を見て
6時間とか言わなくても、3時間でも
おむつ交換とかしてあげるだけで、
日本の介護保険はだいぶん持ち直すと思っています。
僕の母は、介護保険の点数、余っていましたし。


さ。これから僕はどうやって生きていこうかしら。
やりたいことってのも特にないし。
強い表現で例えると、この長い戦争っていうのか。
結末はハッピーエンドで終わったのかな。
それをいろんな人に伝えて、間接的にでも
一人でも多くのお年寄りが笑顔になる
お手伝いができればいいかな。

って前に、僕は生きていかないとなりません。笑
今までみたいにがむしゃらに、ってのは
もういいかなって思うんですが
他人様に迷惑かけない程度に、お金を稼がないとね。


母の子として生まれて、もうすぐ46年。
ほんと、いろいろありました。
でも、ラストが多少悔いは残るけど
ハッピーエンドで終われたようだから。

本当に楽しかったです。
母の子として生まれて、彼女と関わってこられて
本当に幸せでした。
おおきにやで。オモニ。^^
ただの日記 | Comments(0) | Trackback(0)
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