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2012/06/30

雨はネガティブにするようです。

今日、夕食時。
母の前に座るおばあちゃん、Kばあちゃんとでもしましょうか。
彼女はいつもは食事をあまりしたがらないのですけど、
今日はなんかいつもより元気に食事をされる。

でね。
Kばあちゃん、母に付き添う僕に話しかけてくるのです。
いつもそんな感じで、僕もちょこちょこっと会話はしているのですが。
今日は。
「死にたい」

僕「へ?」
Kばあちゃん「死にたい」

どう答えようかな。
うーん。

確かに気持ちは分かる。
別に高齢者マンションが悪いとかじゃなく。
今彼女が置かれている状況などなど。

僕「気持ちは分かります」
Kばあちゃん「分かってくれる?」

僕「でも、それは仕方がないことやわ」
Kばあちゃん「そやね」


Kばあちゃん、認知症なんですよ。
だから、このやりとりがどこまで深いものか、僕も想像できません。
もしかすると、彼女にとって、ささいな会話でしかないのかもしれませんし。



今日は何度か、高齢者マンションの主任と打ち合わせなどをしていまして、
食事の後、いつもの喫煙スペースに行くのが遅れました。

車椅子のおっちゃんと、82歳のばあちゃん。
車椅子のおっちゃんはNさんとします。
82歳のばあちゃんはHばあちゃんとしてきます。

Nさん、雨の日はテンションが下がり気味みたく。
彼、そういうテンション下がり気味の日は時々あるんですけど、
たいがいそん時は早くマンションの中に入られます。
今日もすぐにマンションの中に入られました。


んで、Hばあちゃん。
彼女も今日はテンションが下がり気味でしてね。
しばらく、僕とHばあちゃんの二人で、喫煙スペースのベンチに座って世間話。

Hばあちゃん「うち、もう死にたいわ」

あ。ここでもこの言葉、聞くか。

「毎日やることないし。生きてても仕方がない。せめて内職とかさせてもらえたらね。お金にならんでいいから」

彼女も軽度の認知症でしてね。
だから結構日常の生活において、制限も多い方。

お部屋の窓は全部開かないし。
お菓子のためおきも出来ない。
今のテレビ、操作が難しいから、テレビはいつも4チャンネルばかり。
他のチャンネルに変えようとボタンを押すと、なんや画面が乱れるそう。

デジタルってチャンネル変わるのにタイムラグがあるからね。
それが余計に認知症の彼女を混乱させているのです。

Hばあちゃん「明日、晴れるかな。明日、お買い物があるねん」
僕「明日も今日みたいに、雨が降ったり曇ったりみたいですよ」

どこまで本当か分かりませんが、彼女曰く。
明日はデイサービスが来て、車でお買い物に連れて行ってくれるそうです。

「来月からな、うち平日は毎日デイサービスに行けるようになるねん」

この言葉、春先くらいから聞いているのですけど。
介護保険での残りの点数からして、おそらく週に1回行けたらいい方だと思うのですけど、
彼女の中では、毎日でもデイサービスに行きたいから。

「デイサービスには友だちがたくさんいてるねん。ここにおったらずっと部屋の中でじっとしとかんなあかんからイヤや」

この言葉もよく聞くんですよね。





こないだ。木曜日。
あまりにも首と肩がカチンコチンだったので、マッサージに行きました。
仕事が終わって、ダメもとで予約を取ったら、空いてたのです。

そこでマッサージ師さんと、老人介護のことでずっと話し込んでました。
90分コースだったんですけどね。
あっという間に過ぎた感じです。
いつもなら、「90分長いなぁ」って思うのですが。

「僕、京都で月11万円の高齢者マンションを経営したいのですわ」
ってな感じで。

「もっと理想を言えばね、一つの運動場を真ん中にして、左右に保育所と高齢者マンションを共存させたいのです。でね、保育士のスタッフにヘルパー資格も取ってもらって、いざと言う時どっちでも働けるようにすれば」

今、保育士の働き場所が少ないと聞きますし。
んで、保育所で運動会とか催す時、隣接する高齢者マンションのじいちゃん・ばあちゃんたちが見学できたりして。

いろいろ僕の頭の中で想像が膨らんでね。


「政治家になったらよろしいやん。私、よろこんで一票入れますよ」
「あ。ありがとうございます」
 ↑
ここで僕、日本人ちゃいますねんって説明するの、面倒になりまして。。。笑
でも、本名で会員カード作っているので、何となく分かるとは思うのですけど。



雨だと結構道も混んでいたりします。

雨。

明日、少しでも晴れ間が観られたらいいのにね。
ただの日記 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
わたしは若輩者なのですが、長い人生を生きてきて、もう大きな目標や子どもの将来への不安など大きな心配事もなくただ生きる日々というのは、その人生の終わりを考える時間がありすぎるんでしょうか。
Re: タイトルなし
まず。
「大きな目標や子どもの将来への不安など大きな心配事もなくただ生きる日々」ってのに該当する方、そんなに多くないと思いますよ。
もしそういう感じに映っていたとしても、その中には「あきらめ」って感情がかなり多い。

えっと。
いろんなお年よりと接してきて。結構彼らは「死ぬ」という言葉を日常の会話でよく使います。
誤解を招く表現をあえて使いますが、ずっと前にこのブログでも書きましたけど、
彼らは「いつ刑を執行されるか分からない死刑囚」のような気持ちではないかと。

今まで必死で生きてきて社会を構成してきた人生の先輩たちが、
生産活動からリタイヤして、あとはいつお迎えがくるかを待つだけ、っての。
それも多くの方たちはご家族の面会も少なく。
中には数ヶ月に一度も面会に来ないケースもあるそうで。

無理矢理、胃ろうなどの処置をして「延命」させているケースなどは、生存権うんぬんをしっかり考えないといけないとは思います。
家族さんの勇気や決断力が必要なのかも知れません。
でも、歩けてね、自分でご飯も食べられて。認知はあるけど笑えるし怒ることもできる。
そう言った方たちに「人生の終わりを考える時間がありすぎる」とは、僕は言えません。

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