2012/10/21

難しい。

素人の僕なりに考えてみたところ。
認知症って、記録を取り出す装置が故障した病気、だと思うのです。

おそらく記録自体はしているだろうと思うのです。
でも、それが上手く取り出せないので、
たとえばさっき経験したことも思い出せなくなる。
だけど、明らかに認知症を患った後の出来事なんだけど、
時々ある程度クリアにそのことについて述べることがあります。

ただ。
一度その思い出したっていうデータをどこかに置いたら、
またそれを引っぱってくるのが難しい。
だから、Aという出来事があったとしたら、
それを覚えている時と、完全に忘れてしまっている時がある。
それも一日の中で何回も、何十回も、細かいターンがあるので、
健常者からすると、あれ?さっきまで覚えていたのに何で?
ってこともよくある。


どうせすぐ忘れるから、と言って
ウソをついたり、適当に対応しても
実は、出来事の記録自体はしているので、
記憶っていうモニターに映し出すことはできなくても、
感覚というのか、何かしらで「いつもと違う」ってのは認識できる。




毎週土日、母と半日近い時間を過ごすっての、十年以上続けているのですが、
時々、そのサイクルが狂う時があります。
今日は出勤日でしてね。
僕的には、そのサイクルが狂うのがとても怖いから、
なるべく壊れないように、と
朝8時半ごろに高齢者マンションに行って、母とコーヒーを飲んで
そこから出勤。
で、夕方少し早く上がらせてもらって、急いで高齢者マンションに向かって、
1時間近く、母の食事に付き合っていました。

母のその時の記憶からは、朝に僕が顔を見せたことも忘れてましてね。
ま。これはよくあることなんですけど。

ただねぇ。やっぱりサイクルが少し変わったのが響いているのか。
ちょっと情緒不安定。
母は言葉に出しませんでしたが、結構何かにおびえるような感じでした。

やっぱ難しいなぁ。
ま。こういうのに満点が取れる対応をするっての、できっこないんでしょうけど、
うーん。どうもね。

帰る間際。
ちょっと高齢者マンションの外にある喫煙スペースで、
一人で考え事をしてました。

すると、常駐のナースさんが降りられてきて。
今日のお仕事が終わって、帰られるところでした。
で、そこでしばらく立ち話をするのです。

僕はよく思うんですけど、プロの方たち。
必ず、認知症は治らないもの、っていうのを根底に話されます。
僕も、きっとそれが医学的に正しいんだろうなぁと思って聞いているのですが、
どうもね。

僕は、さっきも書いた通り。記録の破片を取り出す装置。
これ、リハビリで改善するのでは?って思っちゃうのです。
完治は無理でも、ある程度はよくなるんじゃないかと。

あと。もうひとつ思ったのが、心のケアの重要性。
認知症患者って、僕らが想像できないような不安を抱えていると思います。
さっきの記憶が思い出せない。
それ以外にも、歳をとるせいで出会いより別れの方が多くなる。
そもそも、認知になってからの出会いって、なかなか覚えられないし。
やっぱり、記憶がはっきりしている時に出会って、長い時間かけて信頼関係を築きあげた人たち。
そんなん歳をとってからだと、なかなか出会えませんしね。

だから、お年寄りにとっては、出会いより別れの方が重要なのです。


「この前、訪看の●●さんに会ったの覚えてる?」
「うっすらと覚えているような気がする」
「そっか。●●さん、今月で引退されるんやで」

この会話、昨日もしているんですけど
昨日はこの後、

「え?ほんまぁ。●●さんも歳とってんなぁ」

と続きました。
でも、今日は

「また、会えるやんなぁ」

僕が、「もう定年だし分からないよ」と答えても

「また、会えるやんなぁ」を繰り返す。


これなんです。サイクルが壊れるのが怖いっての。
健常者なら、頭で理解して我慢できる。
でも、母の場合は、そこでかなりの不安を感じる。
知っている人がまたひとりいなくなる。
孤独。
そこには、今日僕が半日つきっきりになってあげられなかった、ってのも大きい。



今回の母のケースでは起きないと思うのですが、
もしかすると、悪い方向に行けば、
このことで、寂しさを感じるっていう感情を消す、っていうこともあるかも知れません。
だって健常者でもそうでしょ。
とても嫌な、悲しいことがあれば、それ自体を忘れようとする。
もしくは記憶の箱に鍵をかけて、永遠に出せないようにする。
充分にあり得る話です。




一番最初に書いた、
認知症って、記録を取り出す装置が故障した病気っての。

認知症が進んでいくと、記録を取り出す装置がまったく機能しなくなってね。
しまいに、親族でさえ誰か分からなくなる。
そして、表情をつくり方さえ忘れて。
んで、記録の仕方さえも忘れる。


認知症の進行をストップさせる。もしくは遅らせる方法。
それは、心だと思うのです。
孤独から救う。
不安を取り払う。
それができるのは、お医者さんでもなく。ヘルパーさんでもなく。
彼らは、お膳立てはしてくれますが、
患者は心のそこから彼らに心を開くとは思えない。
だって、そこには積み重ねてきた歴史がない。

認知症患者を救えるのは、最終的には家族だと僕は思っています。




「この前、訪看の●●さんに会ったの覚えてる?」
「うっすらと覚えているような気がする」
「そっか。●●さん、今月で引退されるんやで」
「また、会えるやんなぁ」
「もう定年だし分からないよ」
「また、会えるやんなぁ」
「うーん。どうだろう」

「また、会えるやんなぁ」
「多分、またいつか会えると思うよ」

ほんの少し、母の顔が安らいだようです。
あとは時間の流れが何とかしてくれるかな。
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